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雑感・備忘録・たまに偉そうなことをいう

人の成長とは一体なに?

成長とは一体なんだろう。これはおそらく誰にとっても永久のテーマではないだろうか。

人が成長しようとする理由は、穿った見方かもしれないがひとつしかないと思う。

それは、個人的な満足感、達成感を満たすこと。たとえば、英語力の強化や何かしらの資格の取得など自身の能力を高めたことにより収入アップしたときや、何かしらの功績を残すことにより、多くの人に称賛される立場となったときが代表例と言えるだろう。

英語がある程度喋れるようになった、読めるようになった、書けるようになった、TOEICで高得点をとったというのは自分自身でも測りやすい指標で、自分がどれだけ成長したのかを把握しやすい。

また、自らの知名度や影響力が拡大し、多くの人に慕われる存在となり得たときもそれなりの成長感は覚えることができるだろう。なぜなら、自身のこれまでの努力や実績、思いが(不特定多数の)他人に認められたことを実感できるからだ。

この考えが合ってるのかどうかはわからないが、成長とは、極めて主観的な自己満足がともなう感情のことをいうのではないだろうか。社会のために、人のために、という大義名分があったとしても、あらゆる努力をおこなうその先にあるのは、自身の知名度アップや収入アップというゴールでは無いのだろうか。

他人が満足してくれればそれでいい、喜んでくれればいい、というのは、聞こえは良いが本音としてはウソだろう。自分を誤魔化している虚言に過ぎないと思っている。

たとえば、接客サービス業の人で多くのお客さまを喜ばせようとがんばって、リピーターを増やし、客単価をアップさせたとしても、会社がそれをずっと評価しなかった場合、おそらく、モチベーションはじょじょに低減し、いずれは平均的な対応しかしないと思う。で、転職する。努力やがんばりがわずかでも評価されない環境は、ただただ虚しい。自分の費やす熱量を評価してくれる場所に身を移すのは、合理的な判断なのは明白だ。

今日できなかったことが、明日できるようになったところで、その達成感はすぐに失われていく。それを第三者が称賛することも、めったに無い。真の成長(を実感できるとき)とは、自己満足の追求の先にあると思う。僕は(わたしは)こうなりたい、こうなって人にこう思われたい、そしてもっと豊かな生活を送りたい。第三者の反応をきっかけに、そうなれそうな予感や実感をわずかでも覚えたときが、思い込みだとしても成長できたシグナルだと思う。 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 

成長マインドセットー心のブレーキの外し方

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