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雑感・備忘録・たまに偉そうなことをいう

リーマンが、結婚、出産、マイホーム購入することについて

business.nikkei.co

「やっぱりそんなもんなんだろうな」と思ていたことを再認識させられたニュース。多くのサラリーマンの収入源、それは現職からの給与のみだと言っても過言ではありません。副業解禁のニュースも目立ってきた感がありますが、現職並みからそれ以上に副業から収入を得ている人などはほんの一握りといえるでしょう。

 

独り身ならまだしも、配偶者がいて、子どももいて、さらにマイホームを購入しようものなら、現在の生活を維持するためには現職からの収入を頼りにせざるをえません。そしてその経済的な拠り所が破綻すれば、たちまち悲惨な状況に追い込まれるのは想像にかたくないはずです。

 

今回の、カガクでネガイをカナエル会社、がやってしまったことは、経済的に身動きがとれなくなった社員は、もはや会社に歯向かうことは一切できない、ならば(理不尽な)転勤の指示にも抗うことなく従うだろう、という足元をみた対応でした。ちょっときつめに言い換えるならば、お前とその家族の生殺与奪は、俺たちが握っている、残念な結果にしたくないなら、文句をいわず従え、ということでしょうか。

 

誰が見ても胸くそが悪くなるニュースに違いありません。しかし全国各地で似たような例はたくさんあるのではないでしょうか。現に今回の件をきっかけに、うちの会社でもそんなことあったよ、というようなコメントが多々発信されているようですから。

 

在籍中の会社でしっかり成果を上げ、稼ぎ、家族を持ち、夢のマイホームを手に入れた。通常ならば、今の会社に入ってよかった、この会社のおかげで幸せになれた、と思うはずです。しかし家族を持った、子どもができた、マイホームを持った=身動きができなくなった(弱みを握ったぞ)、よしもっとこき使ってやろう、と会社が判断するならば、それはもはや奴隷制とあまり変わらないのではないでしょうか。

 

社員一人ひとりのやる気を引き出し、(出来る限り)組織を一枚岩にして業績を上げていくのが健全な企業活動ではないでしょうか。人の弱みを握り、そこにつけ込み、奴隷のごとく使い倒し、もしさからえばクビをちらつかせ、場合によっては収入源をたち、社員もその家族も路頭に迷わせる、というのはあまりにひどすぎます。

人財だとか、社員を大切にしているとか、社員の成長をウンタラカンタラとか、美辞麗句を並べる企業は、もしそれと逆のことを社員におこなった途端に信用をなくし炎上対象となるので、言葉のチョイスや使い方は気にするべきかと。くだんの会社は、しばらく、ネガイ、カナエル、は使わないほうが良い、というか使えないでしょう。

 

 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 

第2版 職場のハラスメント?適正な対応と実務 (労政時報選書)

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モラル・ハラスメントの心理構造

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人の成長とは一体なに?

成長とは一体なんだろう。これはおそらく誰にとっても永久のテーマではないだろうか。

人が成長しようとする理由は、穿った見方かもしれないがひとつしかないと思う。

それは、個人的な満足感、達成感を満たすこと。たとえば、英語力の強化や何かしらの資格の取得など自身の能力を高めたことにより収入アップしたときや、何かしらの功績を残すことにより、多くの人に称賛される立場となったときが代表例と言えるだろう。

英語がある程度喋れるようになった、読めるようになった、書けるようになった、TOEICで高得点をとったというのは自分自身でも測りやすい指標で、自分がどれだけ成長したのかを把握しやすい。

また、自らの知名度や影響力が拡大し、多くの人に慕われる存在となり得たときもそれなりの成長感は覚えることができるだろう。なぜなら、自身のこれまでの努力や実績、思いが(不特定多数の)他人に認められたことを実感できるからだ。

この考えが合ってるのかどうかはわからないが、成長とは、極めて主観的な自己満足がともなう感情のことをいうのではないだろうか。社会のために、人のために、という大義名分があったとしても、あらゆる努力をおこなうその先にあるのは、自身の知名度アップや収入アップというゴールでは無いのだろうか。

他人が満足してくれればそれでいい、喜んでくれればいい、というのは、聞こえは良いが本音としてはウソだろう。自分を誤魔化している虚言に過ぎないと思っている。

たとえば、接客サービス業の人で多くのお客さまを喜ばせようとがんばって、リピーターを増やし、客単価をアップさせたとしても、会社がそれをずっと評価しなかった場合、おそらく、モチベーションはじょじょに低減し、いずれは平均的な対応しかしないと思う。で、転職する。努力やがんばりがわずかでも評価されない環境は、ただただ虚しい。自分の費やす熱量を評価してくれる場所に身を移すのは、合理的な判断なのは明白だ。

今日できなかったことが、明日できるようになったところで、その達成感はすぐに失われていく。それを第三者が称賛することも、めったに無い。真の成長(を実感できるとき)とは、自己満足の追求の先にあると思う。僕は(わたしは)こうなりたい、こうなって人にこう思われたい、そしてもっと豊かな生活を送りたい。第三者の反応をきっかけに、そうなれそうな予感や実感をわずかでも覚えたときが、思い込みだとしても成長できたシグナルだと思う。 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 

成長マインドセットー心のブレーキの外し方

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東京都内どこもかしこも警察官だらけ。大渋滞でみんなイライラ。

 

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渋滞 [DVD]

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今がつらくて、早くどうにかしたい人は、転職を考えてみると良いかもしれない

人生の大部分を占めるもの、それは睡眠と仕事ではないでしょうか。そして仕事に自身の肉体と精神を費やすならば、出来る限り精神衛生的に良い職場環境に身を置きたいものです。

耐え忍ぶことも大切なのでしょうが、仕事の辛さに耐えて、その結果なにか待遇がよくなった、昇進したという話は、少なくとも私の周りでは聞きません。むしろ、思い切って転職し、新たな環境や職務についたことで充実した日々を送っている人のほうが多い印象です。

人生はロングランですが、その途上で何があるかは分かりません。だからこそ、健康であるうちに、頭が切れるうちに、今この瞬間を高確率で充実できる環境に身をおけるよう少しづつ準備すると良いかもしれません。

 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 

このまま今の会社にいていいのか?と一度でも思ったら読む 転職の思考法

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遺伝なんだろうな、と感じた両家の顔合わせ

私的なことですが、数ヶ月前に入籍し、40歳直前にして孤独死するかもしれない将来のリスクを回避することができました。その後、某日、両家の顔合わせを行なったわけですが、そのときに印象深かったことをご紹介したいと思います。

 

テーマは、親と子はやっぱり似るもんだ、ということ。両家の顔合わせの場所は、紀尾井町の某著名な割烹料理店。午前11時の開始でしたが、両家の両親はともに道に迷うことなく集合し、顔合わせはオンタイムでスタートすることに。

 

嫁のお父さんは若干緊張気味。お母さんは、お父さんがしゃべらない分、間を持たせようという配慮か積極的にお話されていました。一方、わたしの両親ですが、母は適度の相づちを打ち、タイミングを図りながら話を重ねていく感じでした。そして父ですが、よくしゃべる。でも、人の話を遮ったり、被せたりするようなことはしないのですが、自分のターンが来たとなると、ある程度の尺を取りつつ時折ユーモアを交えながら話していました。

 

特に印象深かったことは、父が乾杯の前に、「わたしから一言よろしいでしょうか」と言って、きょうの日の喜びやこれから私と嫁に期待することを話したことです。父は現在、九州は大分の自宅がある某地域の自治会の副会長?副リーダー?とでもいうのでしょうか、こうした立場にいることもあり、地域住民の方々と個々に話すこともあれば、自治会の幹部の皆さんと話したり、たまに複数人の前で話すこともあると聞いていました。そういうわけで、話の組み立て方もうまく、話も筋道が立っていてわかりやすい。「ほぉ、やるじゃん親父」とか思ったわけです。

 

私も某社で現在営業職についておりまして、決裁者とサシで話すことがあれば、けっこう大勢の前で話すこともあったりするわけで、いつしか人前で話すことが苦にならない体質になっていました。そんな性分が身についたからか不明ですが、父の乾杯前のスピーチ、歓談時の嫁のご両親と話しているときの様子を、日本酒をちびちびやりながら垣間見ているときに、「そういえば俺も社内で社員の前で話すときは、けっこう熱っぽく、時事ネタや最近見た本の内容の受け売りなどを交え、かつ受ける受けないにかかわらず面白いネタも交えながら話しているよな~。で、やったった感に勝手に浸って自己満足しているわ(笑)」とか(偉そうなことを)思ったわけです。両家の顔合わせ後の父の満足度は、表情や適度に酔っている様子からマックスだったと思われます。

 

子は親に似るとはいわれるものですが、この両家の顔合わせを通じて、「やはり何かしらの特徴は引き継いだのだろう」とそこはかとなく感じた次第です。とはいえ、アカデミック的には、人の性格は遺伝ではなく、家庭以外の環境(学校などでの友だち関係)で決まるというわけですから、幼少の頃、小中高生の頃の交友関係が影響しているのかもしれません。40歳目前にして、自分の性格や思考の原点はどこにあるのか、というのも探ってみると面白いかもしれない、と思いはじめた今日このごろです。

 

 

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